「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」漫画家・松本零士さん逝く 85歳(2023年2月20日)

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『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』などを手掛けた漫画家・松本零士さんが13日、急性心不全のため亡くなりました。85歳でした。

第2次世界大戦が始まる前の年、福岡県に生まれた松本零士さん。9歳の頃、手塚治虫さんに憧れ、マンガを描きはじめました。

きょうも日本の原風景が残る愛媛県・大洲市。零士さんが疎開していた場所です。

松本零士さん(1982年):「私が書くマンガには、土がやたらと出てきます。それから四季の移り変わり。春夏秋冬、つくしがいつごろ生えるか、カエルの卵はいつごろ水の中に漂っているか、全部知っています。そういうものを見ていなければ、銀河鉄道も描けなかった」

当時、ふもとを走っていた列車が、そのまま宇宙へと飛び立つイメージが999号につながりました。

戦争の中にありながら、自然の息吹を感じて過ごした温かい記憶。18歳の時、夜行列車で上京した時は、外国へ行くほどの覚悟だったといいます。

地球を救うために闘う『宇宙戦艦ヤマト』など壮大な作品が印象的ですが、初期には、自分を投影したような不器用な男性の極貧生活を、愛おしくつづったものもあります。

多様なモチーフの根底にある零士さんの思いを、交流のある人はこう話します。

大刀洗平和記念館・尾籠浩一郎館長:「非常に平和に対する強い思いをお持ちでした。作品を通して、日本だけじゃなく、世界中に伝えていたと思う」

同じ時代に切磋琢磨した、ちばてつやさんは…。

ちばてつやさん:「本郷3丁目にあった、西陽差し込む4畳半の彼の下宿には、よく遊びに行ったものです。2人ともまだ稼ぎも少なく、満足に食べられなくてね。松本さんはよく『座布団のようなビフテキを食べたい!』なんて言いながら、マンガを描いていました。君も逝ってしまったのか。もう…体中の力が抜けていくよ」

終戦は、7歳の時でした。

松本零士さん(2016年):「うちのばあさんが日本刀を抜いて、打ち粉を打って磨いている。恐ろしい目つきで。『それでどうするん?』と聞いたら『敵が来たら刺し違えて死ぬのじゃ』と。『お前も侍の子じゃけん、覚悟せい』と言うわけです。チビだからピンとこないんですよ」

陸軍のパイロットだった父親から、戦地の話をたくさん聞きました。

戦争を題材にした作品を描き続けた理由の一つです。

『ザ・コクピット/音速雷撃隊』では、月へ行くロケット技師を夢見た青年が、特攻に向かう心情を描きました。

作品には、アメリカ兵の心情も…。

アメリカ兵:「敵も味方も、みんな大バカだ」

松本零士さん(2019年)「(父親が)相手を撃墜する時も『あいつにも死ねば悲しむ家族や子どもがいる』と。だから一瞬ボタンが押せない。でも鬼になって撃墜しなきゃいけない。おやじが言ったのは『人は死ぬために生まれて来るのではない』と。『だから二度とこういうことをやってはいかんのだ』と」

松本零士さん(2016年):「(Q.宇宙を舞台にした戦記物が多いです。戦争の何を伝えようと思って、いつも描いている?)それぞれに家族があって、人は、生命体は生きるために生まれてくるので、死ぬために生まれてきたものは何もない、誰もいない。それを前提に、やむを得ず戦って殺し合う。そういう物語を子どものころから自覚していまして。だから思想・宗教・信条・民族感情、お互いにこれを傷付けてはならない。仲良く、みんな手を携え、一緒に頑張って、この地球を守るというのが、それがテーマで宇宙マンガを描いている。(Q.戦争とは可能性が消えることだとも)そうです」

松本零士先生は宝塚大学・東京新宿キャンパスで13年間、授業を行ってきました。

今の学生とは年齢は離れていても、距離は非常に近く、授業が終わった後も色々な話をしていたといいます。

松本零士さんの授業を受けた学生:「若い時は色々体験しろと。自分の一番好きなキャラクターは、自分の遺伝子に組み込まれているから『それに従って描け』。それが教わった中で一番効いた言葉です」

零士さん自身、手応えを感じていたといいます。

授業で助手を担当:「普通だったら『俺の時は…』って話し方をしちゃうと思うんですけど、何もかも受け入れる。そして与える。隔てない方でした。考え方が宇宙規模ですから、今まだ描いているんじゃないかな。死で終わりというより、まだ続くんだよって…」

鉄郎との別れのシーン、メーテルのセリフ。零士さんが、常々話していた言葉です。

「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

10 COMMENTS

Ted Kurokawa

数多くの作品を与えてくれたことを感謝します。新しい旅が良いものとなりますように。宇宙の大海原で素敵な旅を続けてください。合掌

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くすままと

今の日本アニメ・漫画文化の発展には漫画家・松本零士氏の存在は欠かせなかったです。
様々な素晴らしい漫画・アニメ作品は今後も多くの人々に愛されるでしょう。
お疲れ様でした、ありがとうございます。
ご冥福お祈りします。

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紅鮭

松本御大・・・・(;ω;) 自分の幼き頃から今日までに、あなたの作品で数々の感動を頂きました・・・・沢山の想い出をありがとうございました・・・・旅立たれた御大は今頃999号に乗られてアンドロメダを目指されているのでしょうかね・・・・(つд;)

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僕は一生Aimerさん推し。

メーテル、ヤマトよ、永遠に……
松本零士先生の作品が大好きでした。
安らかにお眠りください。

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やすひろ

70年代後半のアニメブームは松本零士さんなくしてはあり得ませんでした。沢山の名作を有難うございました。心よりご冥福をお祈りします。

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三山明彦

先生、逝ってしまわれたのですね
幼少期の時からその作品を見てきました
それは忘れる事の出来ない思い出です。
今まで本当にお疲れ様でした
どうかゆっくりと休んでください。
合掌

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抹茶オレ

松本零士先生ありがとうございました。
父が松本零士先生の作品が大好きで、よく宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999を見ておりました。
私も父の影響で松本零士先生の作品をテレビ等で拝見しておりました。
突然の訃報に、父はもう宇宙戦艦ヤマトも999の続編も見られなくなったと大変ショックを受けておりました。
今は星の海でゆっくり旅を楽しんでください。お疲れ様でした。
そして数々の作品に出会わせて頂き、本当にありがとうございました。

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