【漫画】「ツナミが来ちゃう!」東日本大震災が起きたあの日、私達一家を救ったのは…

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今回の話は…【私の義父はとても影の薄い人だった。思い出と言えば、途方もない量の年賀状を書いていたり、私の子供達に「布団蒸しごっこ」なる遊びをしていた事くらい…。→そんな義父が亡くなり、そして忘れもしないあの日が訪れ…】
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#漫画 #マンガ #衝撃体験 #心温まる話 #地震

16 COMMENTS

オーソーポー

うちも千葉県だけど家具固定しまくってる。棚に置いている小物もジェルマットで固定してたり、扉に耐震ラッチつけたり、非常用トイレや防災ヘルメットがあったり、かなり色々やってるから、みんなから変な目で見られているかもしれない。でも子供を守れるのは自分だけだから。

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lucky b

冷水に浸かったまま15時間耐え、車椅子の妻を助けた71歳

宮城県名取市の森勝寿さん(当時71)と直子さん(当時69)夫妻のエピソードは強烈だ。直子さんは30代で関節リウマチを患い、首・肩・肘・腰骨、膝などがすべて人工関節のため、自分では一歩も歩けない。勝寿さんは10年以上、わずかな年金で妻を介助してきた。そしてあの日、テレビを見ていた2人を大きな揺れが襲った。しばらくして津波警報のサイレンが鳴り響いたが、直子さんが動けないため避難所の小学校まで移動できず、その場に留まることしかできなかった。

やがて2人を津波が襲い、濁流が部屋に流れ込んできた。その時、勝寿さんは壁に打ち付けられ、直子さんは水流で車椅子から投げ出された。すると勝寿さんは、ちゃぶ台にしがみつく直子さんの元へと泳ぎ着き、水に浸からないよう担ぎ上げた。水位が自分の胸まである状況で、ちゃぶ台を持ち上げ、手がかじかみ腕が悲鳴を上げても必死に耐え続けた。

そして翌朝、空が白みはじめた5時半頃、ついに水が膝下まで引いてきた。勝寿さんは直子さんを下ろすと、瓦礫をかき分けて外に出た。変わり果てた景色を前に、ありったけの声で叫んで助けを求めたところ、近所の人に発見されたという。憔悴した2人が救出された時、津波発生からなんと15時間が過ぎていた。病院に搬送されて応急手当を受けた直子さんの体温は33度しかなかったが、なんとか一命をとりとめた。

「わたしはお父さんがいないと何一つできない。生きてるのが奇跡的です。助かったのが不思議でならない」(週刊朝日、2011年3月28日)と直子さんは語る。まるで小説でも読んでいるかのような信じ難い話だが、このようなことは、夫の妻に対する絶対的な愛と、妻の夫に対する絶対的な信頼なくして起きなかった奇跡といえるだろう。

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ぺそきそ

宮城県民で津波が来た市に住んでいますが不謹慎だとは思いませんでした。もちろんあの時のことを思い出して辛いという方もいると思います。私も正直怖いです。しかし、これからも地震の多い日本で暮らしていくのであれば、津波などの災害に向き合って生きていかねばならないと思います。ですので、こんなことを前もってしておくと少しは安心できるよと教えてもらえることのできるいい動画だと感じました。

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ロイヤルマウンテン大好き

栃木県民です。不謹慎とは思いません。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。教訓です。次はない。明日は我が身、我が県と心にとどめて対策、自分にできる事考えてです

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RU TE

あの日にあった事は決して忘れてはならない、俺も岩手に住んでいた親戚が見つからないまま時が過ぎました。

この書き込みを見ている方々、俺の押し付けだと思いますが。どうか友人や家族とのつながりを大切にして下さい。

今一度、ご家族の大切さを考え下さい

失われた命が戻る事はありません。

ですから、ご自分の周りにいる方々を大切にして下さい。

長文失礼しました。

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名無権兵衛

これお爺さん阪神淡路大震災とか経験した人だったんじゃないかなぁ。
災害への備えめちゃくちゃ詳しいし、経験した人じゃないと分からないような細かな配慮行き届いてるし。

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えどの牙

家族写真入りの年賀状について賛否両論あるけど、この様な活かし方があったのは目からウロコでした。
義父さんの深謀遠慮に頭が下がります。

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豆もやし

備えって大切だなって思いました
素敵なおじいちゃんだったんだなって自分のおじいちゃんのこと思い出しました

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木原浩

3.11と並んで 忘れられないのが 阪神淡路大震災
あれから25年を迎えたけど 目覚ましく復興を遂げていると 映っているけど
これ等で 得た 様々な教訓を 関東大震災の教訓とともに
後世に伝え続けていきたい所存です
2020年 1月17日 投稿

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真小川

東日本大震災では、多くの方が亡くなり、それを教訓として生かさないといけないと思います。

良いお話でした。

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自宅警備隊ごっちゃん

人が死んでから大切さを知る。

死ぬ前に気づけるか気づけないかで運命は大きく変わる。

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チョロンボ

主人の仕事仲間が仕事で来ていた気仙沼で被災、家族も数日連絡取れず大変だったそう。
彼は仕事の打ち合わせでたまたま役場にいて揺れた
役場の人が「高台に逃げろ!」と叫び避難を促したそう。
「逃げろ!」と叫んでているのに自宅に財布、保険証や上着を取り戻った人は帰って来なかったそうです😢
彼は現場事務所に戻り、パソコン等持ち出そうとしたそうですが、「ま、落ちついてからでいいか」判断、仕事仲間を自分の車に乗せたところ、前から後ろからも襲って来る津波からギリギリ逃げたそうです。山の中腹で数日間仲間と避難し自宅に帰られたそうです。
もし、あのとき現場事務所に戻っていたら…と思うとゾッとすると話していたそうです。

義父さんの家族を思う心が素敵だと思いました。
これからも、大きい地震や災害は来ると思います。
そのときの行動も、事前準備も
とても重要だと思いました。

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みやこ-

東日本の時、(千葉民)ちょうど仕事してたんだけど、あの日の事はよく覚えてる。あれ以来、「日常」が続くことが幸せな事なんだって思うようになった

他の人も言ってるけど、今日で阪神淡路からは25年か…そんなに経ったのね…あれもテレビの向こう側で何が起きてたのか分からないレベルだったけど、見た映像は今でもハッキリ覚えてる…

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жライザー ж

まだ忘れられない…。
あの日は中学の5時間目の体育の時、親友がトイレに行っている最中に地震が来て僕らは避難したけど、あいつはトイレで地震の中戻ってくる事が出来なくそのまま行方不明になっちまった。
校庭のすぐ横の体育館トイレは津波で流されて跡形も無くなってたから…。
今もどこかで生きているんじゃないかと思ってる。

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